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肉が震災現場に着いた

朝飯食ってたら、宮城石巻の太田さんから電話が入った。
肉がついたんだそうです、よかった~~~

流通現場も混乱しているみたいで
連絡がつかず、伝票番号だけしか頼りは無い。
どうにか苦労して引き取ってもらったものと思うのです。

現地の人の多くにふるまってあげたいという気持ちはつながっただろうか?
勝手に何でも送ってもかえって迷惑になるので
その意向を聞きながら対応したいと考えているが
そんな状況でも迷惑かけたくないという遠慮が感じられます。
こんなときこそ多少の迷惑はかけてくださいよ。

まだまだ復興には時間がかかるだろう。
何もできないままで遠いところで気をもんでいるより
何かしら役に立ちたいと思うのは
日本人の心ではないですか~

次は何をしたらいいのだろう・・・
大丈夫だって言っていないで
言ってくださいね。

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自然のシステム

植物はその養分の90%程度は自分で作っている。
言わずとも誰でも知っている光合成によるもの。
残りの数%を根からの供給ということであるが、それも実態は良く判っていない。
葉からでも茎からでも必要とあらば吸収しているのではないだろうか?
そのなかでもわずかな量でも必要なものはあるみたいだが
そういうものは微量要素という言い方をされている。
慣行ではその必要量などを数値化するほど技術は進んでいるらしい。
だから肥料としてそれは供給しなければならないということであるが
本当にそうであるのだろうか?

自然と呼ばれる周りを見回すと
多種多様な植物がそれこそ自然に繁殖をしている。

それはどうしてそうなっているのか?

何かを施さなければ成長しないという話からはおかしい現象である。
そこには何かの供給システムが存在し
過不足なく供給し続けているとしか考えられない。

それはいったい何なのであろう?

植物は朽ちれば土になる。
刈り取った草を山積みにしていても
しばらくすると分解されにくいものが残るものの
ほとんど何もなかったような状態にまでなっていく。
それはどうしてか?

そういう疑問を解明しているのが土壌生成理論である。

生物からの有機物は土壌菌により分解または巨大分子化する。
分解に至る過程に発酵とか腐敗とかがある。
巨大分子化していくものに珪酸塩がかかわると土になる。

巨大分子化の循環にかかわる土壌菌は生物と共棲関係にある。
共棲関係である土壌菌はその状態がフェノール系である。
非フェノール系の土壌菌は分解に関わる。

フェノール系の循環で出来た土にはキレート構造が見られ
それが土を養分豊かな状態に保つ。
目に見える土の団粒化である。

そこに関わるのは有機物から腐植に変化していく過程にある腐植前駆物質である。
腐植前駆物質は生物が生きる環境の全てに関わっている環境物質である。

人は食べることでしか体を維持することはできない。
それは肉野菜米麦等の有機物から出来た食糧と言われるもの。
それは植物が光合成で作りだしたものであり
植物は土から生み出される。

土のことを知ることは生きることを知ることである。
その関わりは土のなんたるかを知ることから始まる。

土はその状態を腐植前駆物質に支配される。

つまり土と生物との関わりにおいて
腐植前駆物質に支配されることになる。

その腐植前駆物質のなんたるかを知ることは
人が生きるに必要な事を知ることである。

土と腐植前駆物質を上手く使う事が出来るようになれば
人の生きるに重要な事柄が大きく改善されることになる。

人に都合のいい状態の土にするには腐植前駆物質を上手く使う事が重要なのである。
それは生物が生きるに都合のいい状態を生み出す。
それが清浄な自然の水を作り空気を作りだすのである。

そこにあるシステムは誰にも変えることなどできない。
自然に出来てきたシステムだからである。
そのシステムを知ることで、ひとつの自然を知ることになる。

それを上手に利用することがチャレンジの向かうところなのである。


田の作業始動

今年も始動

20100207 114
草刈りと藁の撹拌
20100207 115
土の中に生草を入れないようにします。

乾土効果と藁の風化促進作業

草を刈り取るだけではなく粉砕するのと
藁も中の風化しにくい部分が出てくるので効果的。

この作業も欠かせないようになってきた。
ここでも土壌生成理論との整合性を考えているのだが
結局、藁と草が腐植前駆物質を生み出しているのだろう。

田植え作業を考えると土を起こさなくてはできないが
もしかしたら土を起こさない方がいいのではないかと考えたりもする。
しかし、作業性がねえ・・・

色々考えながらやっているのです。

救援肉送り出し

本日応援肉が送りだされました。
tuttiの中村さんありがとうございました。
途中で送りの対応をお願いしてしまい、ご迷惑をおかけしました。

流通が混乱していて、つかみきれないんですね。
送れると言ってたり、送れないと言われたりで
右往左往です。
現在は福島茨城宮城が規制になっているようで
特に肉となるとどうにもこうにもって感じでした。

隣の県の山形まで引き取り行って頂くことでどうにかなりました。
こんな状態ですので食べるものが大変だと思います。
米は供給できているようです。
しかしそれ以外は何もかも不足らしいです。

肉をなんとか送れてほっとしましたが
これで済むわけではありません。
長丁場で考えておいたがいいと思っていますので
第2弾、必要なものを聞いてタイミング良く送れたらと思います。

義援金も集まっています。
いまこそ出来るだけの応援をしたいと思います。

義援金受け付けはメールください
motoda@myues.com 件名「義援」で
振り込み先をお知らせします。


不自然な事

20100207 112
土曜日は熊本で、そして昨日は福岡での「降りてゆき生き方」を見てきた。
木村さんが来るので、久しぶりに話せるかと思いきや
そんな雰囲気はなく、すぐそばにいても機会が無かった。

そんなもんだな。
相変わらずの調子での話は、ずいぶんと聞いてきたので大方知っていること。
だけど何回も聞く事でそこに新しい発見があったりもするので
こうゆう機会は必要だと考える。
私は土に特化した追求をしていたので、土から上の事にはまだ疎い。
今後の課題は作物個々の探求になってくるだろうが
それは土の事がもう少し確信に至るまでは封印なのだ。
そこを相棒や娘たちがやってくれているという
分業みたいになっている。

いろいろやってくれるので、その後の研究は早くなっていくことだろう。
部分の解明と、総合的な解明とに頭を切り替えていくことにしているが
総合的な流れを頭に入れておかなくては
部分的な事では理解できないことがある。

これは内水氏の自然学から学んだことで
物事の見方を大きく見ていこうとする癖をつけているところである。

自然栽培においては
たとえば自然以外に何物にも頼らない事を「良し」とするが
実際はいろんな事象で人の手が入る。
そこに何かしら違和感を感じたりするのだが
その目的は何か?という事を忘れていないだろうか?

いろんな情報が入ってくるようになってきて
その仕訳を頭の中で出来るように訓練が必要だと思っている。
まずは何でもいいから情報を取ってきて
それを目的に合わせ仕訳し
その使い方を自分で考えてこそ自分のものになってくる。


そういう意味合いでは、こうゆう機会があれば
出かける事も多くなってくるのである。

まあ、言われた事しかできないのでは研究もくそもないのだが。

自分なりの追求の仕方からチャレンジに行きついて
それから広がる可能性はもの凄い感じがしている。
自然栽培に出会ったときの感覚とはまた違った興奮もある。

精一杯向かうからこそ、その可能性も見えてくるのだから
何もやらないままで批判だけするものは無視だ。
自分が納得できなくては不自然そのものであるのだから。
気が付いている人は、どういう行動を起こすかは言わずともいいだろう。

今、土とは何たるかが見えてきているのに
そこに目を向けようとしないとは
何と不自然な事なんだろう。
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