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変な男たち

私の周りには変な男たちがたくさんいる。
そう言っている私にその男たちはお前が変だろ?って突っ込むのだろうが・・

農の世界ではほんの一部の人がとても違った感性の中で生きている。
日本に限って考えてもわずかな数字になるだろう。
目指すものはそれぞれであり、それぞれの生きている証を追いかけているのかもしれない。
それでも世間の普通の感覚を持ちながら、特別な感性も生かしたいと願ってやまないのだろう。
相反する条件を生き方としてこなして見せているのが彼らの凄いところかもしれない。

農の世界では大多数の慣行農業と一部の循環農業とに分けられるだろう。
慣行は国の政策に応じた規格に合わせる事で、さらに分業を進める事で効率を追いかけてきた。
それは日本の食の根幹を作ってきた大事な事だと思う。
反する言葉は並べられるのだが、実際にその役割を果たしてきたのだと思うのだ。
産業の違い、他国との為替問題による経費の勘定比較などから、時間の流れによる人の思惑等が農の生業を切迫してきている。
経済を考えればそれもいたしかたない事のように思われるが
そこに政策の間違いが問われることとなるのであろう。

昔は食は一番に扱われる大事なものであった。
戦に食の供給がなされなければ負けると思われていたからだ。
それは食わずに何かをやり遂げることはできないという
人としての体の維持を理解していたからだと思う。
「腹が減っては戦は出来ぬ」
そのままいまの現実に当てはめたい言葉である。

その時代は効率だけを考えた今の化学的なものの存在が無かった分
供給だけを考えていれば良かった。
今は供給に頭を向けすぎたあまりにその中身の酷さに気が付いていない。
食わずに戦えるか!
食ったら体をおかしくする・・・

どうする?

そこに気がついてくれれば慣行の向かう方向が見えるのではないか?


循環を考える人たちは、その主観をどこに置いているのだろう?と考えることがある。
それが農への向かい方になってくるし、生き方になってくるのだろう。
慣行の危険性をいち早く気がつき、どうしたがいいのか?と考え方向を探している。
それが多種の生産方法となって今に現れている。

そこに彷徨う男たちは変な奴が多いという事である。
(言いきっていいのか?)

変な男たちを私は大好きである。
変な男たちの純情を裏切る輩は大嫌いである。

時代はこの変な男たちが作っていくことになるのだろう。
我が家にいる変な男の今
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かんぴょうが大好きって、おもしろい発想だ。
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