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木を見て森を視ず

ずっと考えていた。
今、何をすべきなのか?

経済第一主義の流れから、大事なものを置き忘れようとしていた日本。
生まれた環境から食を考えるようになり、今から起きてくるだろうの事態の予測をしてた。
世界は食に困窮することになる。

日本における食は形だけのもの。それはどうすればいいのか?
流れの中で追求する。
そこからの自然栽培であるのだが、それすら疑問が残る事に気が付いていた。
たどり着いた土壌生成理論はあらゆる疑問を拭い去る。
自然界のルールが理解できるようになってきた。

科学は観察から始まる。
科学から生きる方法を見つけだしていく。

置かれた環境はすでに人に都合のいいルールを生み出している。
いいものか悪いものかの判断から入らねばならない。
自分の中の感性によるルールが作られていく。
押し付けられたものではなく、自分が良いと判断できるものがルールになる。

今目の前にあるものは自分が良いと判断できるものであるのか?

押し付けられるものにごまかされないようにしなければ判断は間違ってくる。
その為に色々と調べて目に前の事象に照らし合わせる。
納得できるものを積み上げる。

そういうことを繰り返して今の自分がいる。

生活の糧にするに農業をやる。
それは納得できるものなのか?

自分にごまかしはやりたくない。
誰にどう思われようと関係ない。
自分の思う方向はどっちなのだ?

目の前の事だけに捉われていては判断できない。

木を見ていては森の状況は判らないのである。

自然栽培
食を考えてここにいるが、その先を見つめている。
人は、いや生物はどこにいるんだろうか?
その基本が土にある事に気が付いているのだろうか?

土はどうなっているのか?
それすら理解できないままの自然栽培などありえない。

自然栽培の為の自然栽培であってはならない。

この大惨事に何をすべきなのか?
自然栽培の基準を考えるのではなく
惨事の元凶を解決できる方策を見つけだしそれに向かう事。
チャレンジはそういう方向を向いている。
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