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セミナー準備

セミナー準備

いよいよ明後日は第8回九州自然栽培研究会セミナーです。
毎度のことながら、セミナー前は落ち着きません。
話していく内容はしっかりと固まっているのですが
その表現方法に悩むんですよね。

内容がある程度判っている人にならば理解できることも
初めての人にはさっぱりということではいけない気がするし
かといって、ある程度の人には今更それをやるの?ってのもどうかなあ?なんて悩んじゃうんです。

基本的なことは何回聞いてもいいのですけど
それも取り方しだいですよね~~

これを書いている今も実は内容どうしようなんて考えています。
内容が段々多くなっていき
まとめるのが大変になってきているからですけど・・・・

今日中に仕上げてしまって・・・とは思ってます。

昨日は宮崎のマッキーファームに行ってきました。
この押し迫った状況でも、行かなきゃって思ったんです。
自然栽培にこだわりながらも、耕畜連携が頭から離れません。

私の頭では自然栽培だけでは片手落ちと判断しているようで
農業のあり方はどうあるべきなのか?という問題意識が強いのです。
農薬は問題外ですけど、考えないわけにもいかない。

どこに焦点を持っていくかで内容が大きく変わってきます。

意識は「食べる直前のその食材は大丈夫なのか?」なんですけど。

頭が痛いけど、頑張るぞ俺

セミナー締め切り

セミナーの締め切りは明後日まで。
すでに段取りのつめに入っていますので明後日で完全に打ち切ります。
今回は前回と違って参加者が少ないので予算立てが難しい。

いろいろあるんだろうけど、夏のセミナーはこれで終わりかな?
役割が終わりなのかと思ってます。

違う形での継続はやるべきと思ってますが
もはや新しい流れを追いかけていくのが重要と感じます
それでも原則の部分は残すべきです。

そんな中でのセミナーですので
力は入ります。

できるだけの話が出来るように。

草処理と考え事

DSC_0250a.jpg
う~~~ん・・・
ネギの草処理やってます。
ちょっと油断するとこんなに草だらけ。
マルチを利用することで解決したと思っていたが
まだまだ行程に問題あり。

基本のところは十分にいけるのだけど、行程をどうするかによってこんなになってしまうわけで、
休んでいられないんだよね。
これだけの草が出てくるにはそれなりの理由があるのだけれど
どういう手を打つかは毎年手探り。
やるべき事が多すぎるのも原因だしね。

作業をやりながら考え事やっている。
今考えているのは、生産方法によらない生産物の判断基準を作る事と
それを満足させる方策を求めるハイレベルな会を作る事。

九州自然栽培研究会での内容が初心者から上級者までに幅広い為に
開催するに時間が足りなくて苦しい事が挙げられる。
いっそのこと分けてしまいたいと思うのが私の考えで
上級者向けにはさらなる飛躍を求めるものにしたいと考えている。

何故にこんなこと考えるのは自分でも判らない。
でもこれから必要になる事ではないかと思うのだ。

そう思うならばやらねばね。

目からうろこ

目からうろこ

自然栽培に関わってその生産者から常に嫌われている、「動物性堆肥」に踏み込みたいと思う。

日本の農業は耕作農業だけではない。
畜産もたくさんある。
分野が分かれているけど、消費する方から見ると、みんな食べたい食材となる。

自然栽培で言う、「動物性堆肥は土にに良くない」のか?


結論から言うと、「動物性堆肥は、扱い方を変えればとんでもなく素晴らしい土壌改良剤になる」のだ。


私は長い間誤解していたようだ。
自然栽培の流れから、畜産とは相いれない関係ではないかと考えていた。
耕作農は自然栽培が最高だと思い、その技術獲得に思いを集中してきた。
そしてある程度のところまで来ていると思っている。

現場では土の状況による事があるので、生産物特に野菜関連はまだ時間がかかるのではないかと考える。
それで中途半端にやるよりも一回野菜の生産を辞めて、もう一回土を作ると言う方向に進めたいと考えている。

土には何も持ち込まない事を基本とするが、
「土壌生成理論」よりの腐植前駆物質の事を知ってからは
それを利用することで格段に早く土を作れると感じている。

もちろん、土を作るとはどういう事なのかが解ってきたからである。

「土を知る」事は今までの自然栽培では出来なかった。
土の事が理解されていないと思ったので、土に特化して追求し
その生成に至る過程を知ることとなる。

自然栽培においての土をどう作るかと言う命題を克服出来た瞬間に
自然栽培から排除されるような扱いになった。
今にしてみればどうでもいい事であるのだが、ショックは大きかった。
おかげで自然栽培の括りに縛られることなく、思う存分にやりたい事をやれる環境を手に入れた。

元来、自然栽培を中心に考えてきた事が間違いである事に気がついたのは最近。

生産方法によって優劣を決めること自体ナンセンスだ。

生産は何のためにやるのか?
人を中心に考えているわけだが、食べるために、それを販売して生活の足しにするため。
現在の貨幣による流通が普通になっている環境では稼ぐためにということになる。
そして生活を維持していくこと。

現代では食べるものに安全でないと思われるものがたくさん出てきた。
流通が行き過ぎた結果、効率だけが求められ、その中身をおざなりにしてきた結果だと思う。
食の安全はどこかに置いてきぼり。
だから安全なものを求める流れになり、それが生産現場にも求められることになってきた。
そこからさらに踏み込んで、食は人の体を作っていくものとして、安全は当たり前で
健康に寄与できるものを求めようとするのが今からの流れになっていくのだろう。

そう考えた場合
生産方法で優劣を決めることなどおかしなことだ。
食するもの、それ自体が大丈夫なものかを確認できることが必要となってくる。

安全なものを求めたら生産方法にまで語るのは理解できる。
でも、安全と確認できる方法を求めようとしてこなかったのはなぜだ?

あふれる農法だが、その安全性に何の根拠を持っているというのだろうか?

私は「土壌生成理論」に出会って、そのことを考えるようになった。

それは今までの農法が科学的に考えると理解できない部分が多く
それでいて執拗に農法にこだわる人がいることに疑問を持ったからでもある。
土壌生成理論はそれを見事に答えてくれていると感じる。

だから、「自然栽培という言葉にごまかされるな」というようになった。


自然栽培は、自然の循環を生産に取り入れていいものを提供しようということであろうと思う。
いつしかあれはだめ、それはおかしい、とかの方法論ばかりの議論。
出来上がったものの評価はどこでやるのだ?

ひとつの基準が腐敗実験

この腐敗実験にごまかされる。

生産物も有機物である。
有機物は腐敗するのか、枯れるのか?

いやいや、それは一部の変化であって、判断基準には出来ない気がしている。
それは単に酸化する様を見せているだけだ。
有機物は土に変化する。

今まではそのこと事態わからなかった。
だから完熟堆肥というものの意味さえもわからないままに使われる。
有機物がどういう過程を経て土になるのかがわかると
動物性の糞尿が素晴らしい資材に変化することがわかってくる。

そしてそこから生み出されるものは、けっして腐敗しない。

自然界の循環とはなんと凄いものであるのだろうかと驚かされる。
これが実現できてくると、とんでもなく素晴らしい環境を手に入れられる。
それらをこれから少しずつ積み上げて行きたいと思っている。

当然、生産物自体の確認方法も作り出していかねばならない。
これほどの楽しい仕事は他にない。

毛嫌いしていた動物性のものがとんでもなく素晴らしいものに代わっていくとなれば
まさしく目からうろことなることだろう。

超茶番劇

最近ここではあまり政治の事は書かないようにしていたが
この茶番劇であきれかえってしまった。

最悪どじょうと谷垣、最悪

誰が書いたシナリオ?

もう民主も自民も潰れてしまえだ。

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