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向かう姿勢

農を考え、食を考えて自然栽培になった。
自然栽培は、その言葉の矛盾は別として認めていけると感じた。
自然の循環を取り入れた栽培方法。

栽培するという時点で自然とは乖離するのだが
分業が進んだ今の時代にはとても合うと感じた。

農を生業として考えた場合にはこれにかなう形態は無いかもしれない。
そう感じてやってきたが、そこから自然栽培の定義を考えた場合の矛盾の酷さにはあきれた。

ひとつのテーマを仕上げていくにはその中身が一番の大事なところ。
その大事な部分を言葉で表わし、さらに細かい部分の決まりごと
そして決めかねる部分とかがでてくる。
暗に認めていいだろうか、それとも駄目なんだろうか?
どこかに線引きが必要になったりするが
実はその部分については大事なところでは無かったりする。

それが必要なのは自分を誇張したい輩の欲望である。

慣行から無農薬、そして無肥料、さらに自然と流れてくるが
それは何故なんだろう?

生産側は売れるものを追いかけていく。
売れるものは何だ?

売れる物の流れがそこにあるだけだ。



何かが違う気がする。
本当に大事なものはどこにあるのだろうか?

ここでも何回も取り上げる「本当に大事なもの」は何?



生物の頂点にいる人
人の生存に関わるものは食
食は人の体を維持するに無くてはならないもの。
太古の昔から食の為に人は行動してきた。

分業が進んで、その食の大事な事を人は忘れていたのだ。

食が不足すると供給にいそしみ
その技術は慣行が担ってきた。

不足が解消されてくると質になってくる。

質の追求が今の流れだと考えるが
その頂点に安全なものと言う事になってきたのだろう。

では安全なものとはどういうものであるのか?

今の時代そこを良く考えることが必要ではないかと思う。
何かの言葉に迷わされるのは人の欲望を満足させているにすぎない。
迷わされるのではなく自分で考え、自分で判断しなくては。

私はそういう姿勢で生産に向かう。
その姿勢が「チャレンジ」という形になってきただけである。

その為に大事な知識を求めて悩み続けるのだ。


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